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2006年4月25日 (火)

蛸島駅の思い出

 昨日書きました旅行記、意図的に珠洲市内の部分を省略しているんですが、今日はそのうち、蛸島駅の部分について、昔話も交えながら書いていきます。

 約2年前、「区間全駅」の取材のため、約15年ぶりに訪れた蛸島駅。駅舎の佇まい、ホームの様子、ホームから見える風景、ほとんど変わっていませんでした。その約2年後、今度は車で訪れたのですが、実は2年前に訪れた直後に、駅舎の中で売店のようなものを始めたということで、少し様子が変わっていました。とは言っても、ホームの佇まいなど、昔のままで、おまけに列車まで留置されているということもあり、また、売店もあり、「廃駅」なのですが、それとは違う形で生き残っていました。

 残念ながら、能登線の全列車が蛸島駅へ来ていたのではなく、特に急行列車など珠洲駅止まりになるものも多く、「遠くへ行く時の出発点」としての思い出が、蛸島駅と珠洲駅に二分されているのですが、かえってそのために、列車に乗るための駅とは違った思い出がこの駅にはあります。

 小学校の時は、花見ということで、全校児童でこの駅のホームで弁当を食べたり、写生大会で、町中の好きなところで絵を描く、というときに、この駅のホームで絵を描いていました。トイレはきれいになっていたのですが、その時、絵の具の水を汲んだ手洗いの水道はそのままでした。列車本数も少なかったこともあり、そういうことができたのですが、朝から午後までいて、来る列車は2本が折り返していくというだけ。当時は有人駅だったのですが、危険だからと追い返されることなく、ずっとホームにいることができました。

 蛸島から、珠洲市の中心部の飯田までは、公共交通機関を使うとしたら、能登線よりも並行するバス路線(当時は国鉄バス)が便利だったんですが、あえて列車を使いました。当然、生まれて初めて自分できっぷを買って、一人で列車に乗る、ということをしたのもこの駅だったのです。

 それと、小学校高学年の時に、ちょっとだけ写真を撮ることに興味がありまして、被写体としてこの駅が選ばれることもよくありました。

 中学校にはいるときに、駅舎に1年だけ「JR西日本」と書かれた看板が取り付けられました。通学は普段は自転車だったのですが、積雪の時だけ列車。バスでもよかったのですが、蛸島駅から珠洲駅まで列車に乗りました。生まれて初めて定期券というものを持ったのも、この蛸島-珠洲間だったのです。積雪時ではなくても、中学校から自転車を漕いでくる帰り、なぜかこの駅に立ち寄ってトイレを使う、という習慣があったんですが、今考えると何ででしょうね…。

 翌年に「のと鉄道」になり、違った色の列車が来るようになりました。「のと鉄道」の駅となってから、蛸島の住民であった期間は1年だけなので、やっぱり蛸島駅として思い出すのは、国鉄色の気動車です。

 時折「列車に乗るための場所」となるのですが、それと同時に、列車に乗らない思い出も多い場所です。多分、今の趣味の原点は、紛れもなくこの駅なんでしょうね。

 そんなことで、10数年ぶりにみた蛸島駅の桜。今は動いている列車で来ることはできませんが、列車が来ていた頃を思い出すには十分な佇まいでした。

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コメント

 お返事が遅くなってしまいました(1日逃すと1ネタ増えるのね、と。本当にマメに付けていらっしゃいますね)が、お世話になりありがとうございました。特別な思い入れが強い土地(当然ですわな)、もう少しゆっくり回ったらよかったですね。すみません、せかしてしまって。

 お世話になりました。

投稿: Yokochan | 2006年4月28日 (金) 20時40分

 いや、いいんですよ。実は「区間全駅」で蛸島駅へ行ったときも、結局、蛸島駅までしか行っていませんし、長くいてしまうと、ありがたみが薄れます。
 前回のように、さっと通り過ぎるぐらいがちょうどいいんです。
 てか、ああいうきっかけがないと、改めて行かない土地でもありますしね…。

投稿: 川口@区間全駅(管理者) | 2006年4月29日 (土) 00時03分

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